これが私が「彼を思ってる」形のひとつ

昨日は息子の三者懇でした
今回は主人も同席

1年のときは
最初の1週間、力を振り絞って頑張って登校したのだけど、そのあと行けなくなってしまい、でも、あれやこれやで、遅刻しながらでも行けるようになったので
「それだけでもよかった!」
という内容の懇談で。

今回は、卒業の為の単位の話が
若干厳しめになされ
親子共々気を引き締める事になったのだけど

先生がすごく「分かってくれる」先生でね

懇談の話の端々から伝わってくる
息子の困り感
息子の困っているポイント
それらを「しっかり把握してくれている」というのが伝わってきて
それは本当に安堵しました

でも

その伝わってきたものから
幼い頃、彼が困るポイントになる特性だと指摘された部分が、やはり現実としてあって
そこには、やはりフォローが必要で
それが足りてなかったのかもしれない

・・・・ということに
申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました



でもね


そのポイントが今回の懇談で明らかになって
先生も具体的な支援案を出してくれて
よかったのだけどね

小中の頃は
まだ、家でも見えることがたくさんあって
むしろ、こちらから学校に情報を提供することで、学校での対応を工夫してもらったりってのが出来たんだよね

だけど、高校生になるとそうもいかなくて


だから

だからね


こういう機会があるわけなんだよね 笑笑


それでよいのだけど


一瞬自分を責めてしまうな 笑笑


これが私が「彼を思ってる」形のひとつなんだよね


だってさ


他の人の事で
ここまで心が揺さぶられるでしょうか?
こんなに考えるでしょうか?
自分の事のように感情が動くでしょうか?


だから

それはそれで
しょうがないんだと思う


だから


そんな自分に落胆したり
がっかりしなくていいんだと思う


だって母親なんだもんね


でもね


だからって
ずっとしんどくなくていい

気持ちが軽くなってもいい

楽しんでもいい

両方あっていいんだよね

それが生きてるってことなんじゃないかなぁ

〜あなたがととのうひとときを〜カウンセラー・ソウルコーチ メグ

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